[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
戦争: 応永の外寇(己亥東征)자신해동정
年月日: 1419年6月20日 - 1419年7月3日
場所: 日本対馬
結果: 対馬(日本)軍の勝利、李氏朝鮮軍の撤退。
交戦勢力 対馬国(日本) 李氏朝鮮
指揮官 宗貞盛 世宗 李従茂
戦力 600人 17,885人
損害 ~20人戦死 2,500~人戦死
(20人は・・・いくらなんでも120人の間違いだと思います
)
(後年の編纂物『対州編年略』では、日本側の死者123人、朝鮮側は2500余人)
李氏朝鮮側の被害は日本の資料では死傷者2500以上
『世宗実録』では6月26日の襲撃で死者百数十人、7月10日の記録では180人とされているが、
総数の2%程度の損害で和平を受け入れるとは考えにくく 6月26日は敗戦と自ら明記し将官も戦死していることからも、全体の被害は相当数にのぼると思われる。
総じて朝鮮軍は不利であったようであり、この事は保護された中国人の扱いにおいて「対馬での朝鮮軍の弱小ぶりを詳細に見たことから中国に返還できない」と主張する左議政朴訔に対し右議政李原らは「事大の礼を尽くして送り返すべき」と反論したという記録や、朴実が敗戦の罪により投獄され、李従茂が国民への影響を理由に免罪となった事からも窺える。
(え?朝鮮軍が メチャ弱かったという事)
映像で出てきた 大砲を積んだ戦艦・・・実在しなかった(?)みたい・・・
弓矢も・・・朝鮮軍は届きもしなかったとか・・・・
対馬の3倍もの兵士を送り込んでおきながらの敗戦・・・ドラマとはかなり違う事実だったのでしょうね。
(韓国の人たちは・・・疑いもなく信じているのでしょうね・・・・ )
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『お笑い!応永の外寇 2011年9月5日』として・・ブログを書いて見える方が見えました。
興味深かったのは・・・・この当時の軍服・鎧 画像を載せて見えます。
なんと!!!綿入り布の甲冑 ドラマのような甲冑は存在していなかった
この方のブログの内容と・・・ウィキペディアの内容と非常に酷似しています。この方が編集?
ウィキペディアには・・・2012年8月付けで・・・「この記事には複数の問題があります。」って注意書きがありました。
注意書きの日付が気になったmamaでした
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
yahoo!知恵袋より
韓国の教科書では以下のように書かれています。
≫世宗のとき、李従茂などが200余隻の艦隊を率いて
≫倭寇の討伐に向かい、対馬島を征伐した
(韓国国定教科書より・・・韓国は教科書は国定のみ)
日本の教科書には以下のように書かれています。
≫宗氏の当主が交代し、倭寇の活動が活発になったため、
≫1419年、朝鮮軍は倭寇の根拠地と考えていた対馬を襲撃した。
(詳説 日本史・・・山川出版社)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
恥ずかしながら・・・mamaは・・・『倭寇』とは?から・・・
14世紀前後の北九州から朝鮮半島南部、明国沿岸にかけての東アジアの海上世界は、日本人や中国人・朝鮮人らの諸民族が往来し雑居する状態にあり、それら諸民族からなる倭寇(前期倭寇)が活発化していた。
倭寇(わこう)とは、一般的には13世紀から16世紀にかけて朝鮮半島や中国大陸の沿岸部や一部内陸、及び東アジア諸地域において活動した海賊、私貿易、密貿易を行う貿易商人の事である。
倭寇の取締りに協力的だったのが 対馬国の守護代宗貞茂が 1418年4月病死後
若年の宗都都熊丸(貞盛)が跡を継いでから・・・・収集できずに倭寇は再び活発化
前期倭寇・・・・主に日本人で一部が高麗人
元寇に際して元軍とその支配下にあった高麗軍によって住民を虐殺された対馬・壱岐・松浦・五島列島などの住民が中心であり、「三島倭寇」と総称された。
清の徐継畭の『瀛環志略』や李氏朝鮮の安鼎福の『東史綱目』には、倭寇の原因は日本に対する侵略行為を行った高麗人(朝鮮人)への報復である、と記述されている。
朝鮮半島で唯一稲作が盛んに行われていた南部の沿岸地方を中心に襲撃し、食料や人間を強奪していることが挙げられる。さらには、連れ去られた家族を取り戻すためであった事例もあり、実際に家族と再会した記録も残っている。
後期倭寇・・・・中国人が多数派で一部に日本人をはじめ諸民族を含んでいたと推測されている。
『倭寇とは「倭(日本)による侵略」という意味で、中国、朝鮮では日本人海賊を意味する。
朝鮮半島や中国において排日感情の表現として使用される事がある。
現代でも、韓国人や中国人が日本人を侮蔑するときに用いており、「野蛮人」のニュアンスを含む。』
高麗軍の虐殺も・・・中国人が多数であったことも・・・・全て消されてしまって・・・
このような意味で使われるのは・・・悲しいどうしてなのでしょう
韓国人・中国人の思い込み?
日本が『恥』の部分を隠している?
しかし・・・戦いに一方だけが悪いって事は 無いと思うのですが・・・・よく分からないまま
ハッキリ分かったのは・・・・「大王世宗」は・・・綿の入った甲冑を着ているようですが・・・
将軍クラスは・・・皮の甲冑を上に着ているみたい・・・・
「大王世宗」よりも昔の・・・・・「チュモン」「風の国」「大王四神記」「善徳女王」「階伯」・・・・・・・・・
あのカッコイイ鎧は・・・・・絶対に無かった!!!ということ・・・
「世間はお前を賢者ではないと言う・・・それでも努力するか?
お前が否定するこの国のために 献身できるか?」
「努力します。
妥協点を探そうと努めれば...きっと歩み寄れます。
お互いの意見を尊重していけば...最悪でなく最善の結果を得られるはずです。
努力します。
1人ではなく 臣下たちと共に 力を尽くします。」
39話
「匙を持て そして一つ残さず食べろ
甘えた事を言うな いつまで逃げる気だ
・・・・・・・・・・・・・・・
王は 無理だと分かってもやらねばならぬのだ。
たとえ民が飢え様とも・・・
たとえ兄弟を殺し 臣下を追放し
妻の心に杭を打ちつけ傷つけようとも
口に飯を押し込み 眠らなければならないのが国王なのだ。
匙を取れ
飯に涙をかけて流し込もうが・・・怒りで飲み込もうが構わぬ。
耐えて打ち勝つのだ。どんな時も強さを忘れてはならぬ。
体を傷つけてもならぬ。
なぜなら王とは・・・朝鮮そのものだからだ」