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檀君(タングン)神話
万物の神で空の支配者である桓因(ファンイン)がいました。
庶子である桓雄(ファンウン)は、常に天下の人間世界に深い関心を持っていました。
(庶子・・・一般には,中国,朝鮮,日本の旧社会において一家の家督を嗣ぐ嫡子に対して,他の傍系一族員を呼ぶ場合の呼称)
「地上に住む人間の世界を治めてみたい」
桓因(ファンイン)は桓雄(ファンウン)の志を知って、「広く人間のためになることをするように」と、彼を下界に遣わした。
ファンウンは 天符印三個を授かり、3000人の従者をつれて地上に降り立ちました。
今の北朝鮮と中国満州の国境に位する太伯山(テベクサン・今の白頭山)山頂の神壇樹(シンダンス)下に降りて神市(シンシ)と定め、桓雄天王となりました。
風、雨、雲を司る三人の将軍、雲師・風白・雨師と共に 穀・命・病・刑・善・悪を司り人間の360余事を治めました。
太伯山の洞窟には人間になる事を切望している虎と熊が住んでいました。
(夫婦・同棲・同居 等の記載があって・・・虎と熊の性別は確かではありませんでした)
ファウンは 一把のヨモギと20個のニンニクを与えて、
「これを食し、100日間日光を見ないようにすれば人間になれるであろう」
と告げました。
熊は日光を避けること37日目(21日目との記載もあります)に熊女(ウンニョ)になりましたが、虎は物忌みが出来ず人間になれませんでした。
神檀樹の下で「仲間がいなくて寂しい。子供を授けてください」と熊女が祈った。
ファンウンは仮の姿となって熊女を娶り、子供を作った。
この子供が後の 檀君王倹(タングンワンゴム)です。
(祭壇を支配する統治者という意味をもつ檀君(タングン) と名付けられた説と
祭壇の上で授かった子だから「檀君」と呼ばれるようになったという説がありました)
(虎はどうなったのかしら?「夫の虎を追い出した」という記載はあったけれど・・・女の虎だったら? )
檀君(タングン)は神の血と熊の血が混じったとても賢明で強い指導者として育ちました。
壇君王倹は中国の堯帝の即位五十年 庚寅の年(堯帝即位元年は戊辰、その五十年は即ち丁巳であり、庚寅ではないので、それが事実かどうかは疑わしい。)平壌城(今の北朝鮮の首都)へ移してきて朝鮮王朝を立てました。
後に都を白岳山の阿斯達(アサダル)に移して、1500年間も国を治めました。
周の武王が即位した己卯年に、箕子(キジャ)を朝鮮に封ずると、壇君は阿斯達から隠れて太伯山へ戻り山神になりました。
寿命 1908歳であったそうです。
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この檀君神話、韓国の歴史教科書では「事実」として教えられているそうです。
本当に??神話は神話・・・作り話でしょ?
五千年前にはまだニンニクもまだ朝鮮半島には伝播していないですが・・・
ではでは・・・
朝鮮王朝は、天の神の庶子を父・人間の女に化身した熊を母に持つ子供が作った事になるわね。
(獣祖伝説・・・人間に無い、動物の不思議な力や生命力」を崇拝の対象とする。)
しかし・・『古代の漢民族や朝鮮民族には「獣祖神話」がない。
あるのは「感精(かんせい)神話」
感精とは超自然力の天降る霊物などを意味している。
「感精神話」の代表的なものとして、朝鮮で初めて統一王朝を作った新羅の建国神話がある。』
と、説いて見える方もいるように・・・
『熊を崇拝している』という話は聞かないし・・・
そもそも熊の憧れが「人間になる事」だったんだから・・・崇拝の対象にはならないよね
どこをどうやって・・・『事実』として教えているのでしょう