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在王である英祖と荘献世子の二人に スポットを当てたお話でした。
始まりは・・・老論の操り人形的な英祖が中心でしたが....正直 あまり興味がそそられる作りにはなっていなかった。
兄の毒殺説は・・・えっ!?って驚くような話ではないんですもの~
事実かどうかは別として 既に誰もが知っている話を長く引っ張りすぎた感じがします。
mamaは キム・ユジョンちゃんを目当てに見ていました。(本当に楽しみな成長ぶりです)
そして他の史劇に比べて 早口でセリフが長い。
こんなところが史劇好きの高年齢者が付いて行かれずに視聴率低下につながった感は否めません。
しかし・・・・
中盤から荘献世子にスポットが移ってからは 俄然面白くなりました。
13話・14話辺りは・・・泣いた泣いた........
『米櫃』という結果は 変えられないから 悲劇に向かっていくことが分かっていてもハラハラドキドキしていました。
孫のサンを含めた3人のドラマは多いのですが・・・
父・息子の想いに目線を当てたドラマが なかっただけに 見方を変えるとこうなるのか~と新たな発見です。
イ・ジェフン氏が ”最優秀演技賞”を受賞しましたが・・・
mamaは ハン・ソッキュ氏の英祖に軍配を上げたいかな~
視聴前に ニュースター賞: キム・ユジョン を知っていたから・・・
やっと子役を脱したのねと、思ったら・・・まだ子役でした。
もう立派な女優と言える彼女に ニュースター賞 って何?????
蛇足
ソ・チダムのペンネームの”氷愛”
荘献世子が 祖母 仁顯王后の針房内人を 強引に手に入れて側室にしました。その人の名が ”氷愛”です。ラブラインがなくてホッとしていました。
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★英祖(ヨンジョ、えいそ)李氏朝鮮時代の21代国王
即位前は延礽君(ヨニングン)と称し、粛宗の次男にあたる。
母は和敬淑嬪崔氏(숙빈 최씨、スッピン(スクピン)。生母・淑嬪崔氏は王の井戸で水を汲むムスリ出身だったとされる説もあるが、実際には針房に所属していた宮女。(ドラマ「トンイ」)
生母が賎しい身分のため、延礽君は同じ王子ながらも世子である異母(張禧嬪ちょう きひん/チャン ヒビン・玉貞(オクチョン))兄・李昀(景宗)とは全く違う周りの慇懃な蔑視を受けながら育った。
兄・李昀(景宗)を支持する少論と延礽君を支持する老論の間の権力争いが激しくなった。
朝鮮王朝の歴代君主中最も長生きした君主。老衰のため83歳で薨去。在位期間もおよそ52年間と最も長い。
★荘献世子そうけんせいし【思悼世子しとうせいし、サドセジャ、사도세자】
2歳で王世子に冊立される
10歳で恵慶宮洪氏と結婚
少論派の学者たちから学問を学び、朝廷を掌握した老論派と対立した。
乾隆14年(1749年)に英祖の代理として政務を処理するようになると、老論派の貞純王后(英祖の妃)とともに英祖に讒言し、世子を陥れた。
英祖との葛藤で李愃は精神を病むようになったと『恨中録』(恵慶宮洪氏の随筆)には記録されている。
景宗の疑惑の死。1724年8月20日
・トンイでは 『痿疾(いしつ、ウィジル)』という病に侵されていた。
・生母張禧嬪が刑死した後 憂鬱症になってしまった。
・一説によれば、当時の医学で相剋とされた蟹醤と柿を食べ、延礽君が医師の反対にもかかわらず参茶を薬として使ったといい、蟹汁と柿を食べ合わせた景宗は、腹痛と下痢を繰り返し五日後に薨去した。
景宗は老論派の両班によって暗殺されたとも 弟の延礽君が毒殺したとも言われている。